【城下トンネル】
■所在地:群馬県桐生市黒保根町 ■取材日:2004年5月13日 ■公開日:2014年3月某日
■ここに紹介する「城下トンネル」における噂話は、果たして何時の頃から耳にしていただろうか。定かではないのだが、それなりに古い書籍などでも目にしていた様に記憶する、それなりに歴史ある心霊スポットと認識している。
渡良瀬川と並行した様に伸びる国道122号線の黒保根町にあるトンネルで、長さは100mに満たない程だろうか。そう長いトンネルではない。また、城下トンネルと渡良瀬川との間には「わたらせ渓谷鉄道」が伸びており、その鉄道様にもトンネルがあるのだが、それは国の登録有形文化財となっているそうだ。
ここが心霊スポットとして噂される要因は、付近で交通事故が多発したからだ。このトンネルを中心に事故が続発し、事態を重くみた旧黒保根村の元村長が、トンネル付近に供養塔を建てた。
それ以降、事故の数は減っていったそうなのだが、その供養塔の存在と共に現地は噂され、現在においても心霊スポットとして紹介され続けている。
■そんな城下トンネルに訪れたのは、2004年の頃である。栃木および群馬に出向く機会があり、そんな中に立ち寄った心霊スポットの1つだ。現地を案内して下さったのは、今はなき「異界への招待状」の管理者・やっくん氏である。色々と案内して下さり感謝して止まず、またサイト閉鎖の知らせが実に残念でならない。
栃木県の心霊スポットを巡り、ここに到着した頃には、それなりに時間が押していた様に記憶している。現地入りしてすぐに撮影をはじめ
「そう撮影するポイントもないですから」
といった氏との会話と共に、手短に済ませてしまったのを思い出す。今になって思えば、トンネル上部もチェックしてみたかったし、旧道にも足を踏み入れておきたかった。まぁこういった後悔は、ここに限らずどの心霊スポット取材でもあるもので、過ぎてしまった今ではどうすることも出来ないのも事実。次回に訪れる機会に恵まれた際の宿題と思いつつ、未だにその機会に恵まれないでいるのが切ないところである。
そんな個人の心境などはこの辺にして、現地の霊的な情報を少々。当サイトで紹介している文章を、そのまま紹介すれば、
「女性の霊が突然車に覆い被さってきた」
「首がない人間がトンネル内に立っていた」
といった具合である。トンネル内部での霊の出現が主だといえる。それ以外にもネットで情報を得ようと思えば、幾らでも出てきそうだ。
トンネルでの心霊スポット情報でよく聞くのが「トンネルの上部は実は…」的なものがある。このトンネルもそれに漏れず
「トンネル上部はかつて処刑場であった」
といったものがある。これが事実なのかは不明なのだが、付近にはかつて「深沢城」があり、戦国時代には戦もあったそうだ。
この深沢城の築城の年代は明確ではないのだが、一説には1558年から1570年の頃であったという。築城したのは阿久沢氏だ。戦国時代でいえば中盤から後半に差し掛かった頃だといえるだろうか。上杉軍などに攻められた歴史があり、後の1590年、豊臣秀吉の小田原征伐の際に阿久沢氏は小田原城に城主・北条氏と共に籠城するも降伏。それ以降、深沢城は廃城となったのである。
そういった情報を踏まえると、処刑場の存在も否めないのだが、事実は如何程だろうか。因みに深沢城は、城下トンネルから西へ1km程にあったそうだ。今でも土塁や郭、堀などが残っており、付近の正圓寺では阿久沢氏の墓地見る事が出来る。
■城下トンネルを正面に撮影。
全長は6〜70mといった感じで、比較的短いトンネルだといえる。有名なトンネルなのだが、短いトンネルで撮影ポイントもあまり多くない。
■また、ここでの霊的要因を調べると、その他に水害による事故が目に入ってくる。1947年9月14日〜9月15日にかけて本州を襲った「カスリーン台風」による被害で、現地では数多くの死体が流れ着いたといった噂がある。
実際に群馬と栃木の両県では死者・行方不明者が1100人以上と言われており、渡良瀬川の本流の利根川も、堤防の決壊により周辺の家屋が浸水したそうだ。流れ着いた場所と断定するのは兎も角としても、多くの犠牲が渡良瀬川および利根川であったのは間違いない歴史なのである。
そういった過去の悲しき歴史と共に、その犠牲者の霊達が、この城下トンネルに集まり事故を誘発したのだろうか。真相はそう簡単に解明されるものではないのだろうが、慰霊碑の建立により事故が減少したという事実に、その建立に当たった人々の切なる思い等を感じるのは私だけだろうか。
■そんな現地の写真を以下より紹介していく。
巡霊者:心霊スポット取材記:群馬県【城下トンネル】現地写真
■もう少し近づいて撮影。
時間帯も手伝ってか、大した恐怖感は感じない。
■そう古い訳でもないので、他のお化けトンネルと比べても見劣りする感は否めない。
■撮影角度を変えての1枚。
事故の痕跡がある訳でもなく、全くもって、ただのトンネルでしかないのだが、この撮影地点から後方へ戻ってみると…
■この様な供養塔が建てられている。
この城下トンネルを心霊スポットとして有名にさせているのは、この供養塔の存在と、その建てられた経緯である事は間違いない。
■見ての通り、今でも飲み物が備えられており、きちんと供養されているのが伺える。
この供養塔建立の効果か、付近の交通事故は減ったといわれているそうだ。
■現地取材をしていた時は、帰宅の時間も押し迫っていた事もあり早々に切り上げてしまったが、やはり今となってみれば
「もう少し粘っておけば」
といった未練は隠せない。トンネル上部や旧道、少々離れているが、城跡も見ておきたいし、渡良瀬川の姿ももっと見ておけばと、今になって後悔するばかりだ。かといって、それら全てを心霊スポットとして紹介する事は出来ないのは言うまでもないのだが。
また上記以外に、もう少し下調べしておけばという思いも正直ある。
余談となってしまうのだが、私は他人の紹介で心霊スポットを巡る場合、事前に下調べするといった事は一切行わない。もっとも、事前に知っている情報もあるので、一切というのは大げさなのかもしれないが、改めて勉強という事はしない。それは何故なのかといえば、知ってしまえば自分の意見を言いたい場面にも出くわすし、例えば
「そっちよりこっちを見るべきだ」
といった欲も芽生えてしまう。しかし、それは案内して頂く方に対し非常に失礼な事であるので、ならばいっその事、知らない方が楽しい取材となるからである。大げさにいえば、私の流儀なのである。
しかしながら、案内して頂くにおいて、極端な話、心霊に全く精通しない人に案内されても、それではどうしても不安になってしまう。ならば、どうせ案内して頂くなら自分自身が信頼できる人をと思うのは、私の中では自然なことである。
そんな「信頼できる人」が、異界への招待状の管理者・やっくん氏であった。氏が辞めてしまったのは非常に残念なのだが、これも時代の流れ。万が一、戻ってくる事があれば、ぜひ連絡して欲しい限りである。
とにかく、氏と巡った栃木・群馬では個人的な宿題も多かれ少なかれある。ここに紹介した城下トンネルにおいても先に書いた通りだ。いずれまた、足を運ぶ事も、この先に必ずあるだろう。そんな時に、もしかしてお会いできればなんて勝手に思っている。