心霊スポット:梅田湖:桐生川ダム 【梅田湖:桐生川ダム】
■所在地:群馬県みどり市大間々町 ■取材日:2005年7月23日 2006年4月17日 ■公開日:2014年8月某日


■心霊スポット情報のページ「戦慄の心霊スポット」用に書き始めたのだが、思いのほか長々とした文章となってしまい、「だったらレポートで」といった安易なノリで作ったのが、この「梅田湖:桐生川ダム」である。

 本来ならば、これより以前に訪れた心霊スポットを先に公開せねばならないのではあるが、そんな経緯でノリで出来上がってしまった為、フライングで公開するに至った。しかし、よくよく考えてみれば“訪れた順に公開せねばならない”といったルールが存在している訳でもないので、今後は好き勝手に今までに訪れた心霊スポットを公開して行こうかな…なんて考えている。

 そんな今後のサイト運営の切っ掛けになれば思惑も実はあるのだが、そんな事は取り立てて特記すべき事でもない。とにかく以下より梅田湖:桐生川ダムの記事を掲載していく…。

■「梅田湖:桐生川ダム」といえば、何より「釣りスポット」として有名なのではないだろうか。ワカサギやニジマス等をターゲットにした釣りが有名らしく、検索すると、その類の情報は容易に手に入る。

 そんな湖なのだが、心霊スポットとしての顔も、水場ならではと言えるのか噂が聞かれたりする。ここ梅田湖では、幼い子供の霊が泣き叫びながら出没するそうだ。
 この子供の霊は、実際に起きた事件の犠牲者だと言われている。犯人が車を盗んだ際、その車にたまたま乗っていた子供を、梅田湖に投げ捨てたそうで、その犠牲となった男の子が事件の恐怖を未だに訴えているのだろう。

「助けて!」

と泣き叫ぶ姿が目撃されるそうだ…。

心霊スポット:梅田湖:桐生川ダム

■昼間とはいえ、平日という事もあってか、釣り客の姿は少なく自然のみの姿を見せる梅田湖。奥に見えるのが桐生川ダムである。


■また、この梅田湖が出来る以前にも、実は悲しい事件が起きていたと伝えられている。
 付近に伝わる民話によれば、1783年(天明3年)の大噴火の際には周囲に大規模な被害をもたらした。また同年は「天明の大飢饉」も起きており、周辺の人々の生活は非常に苦しかった。

 苦しみに耐えかねた住民は暴徒化し、周辺の店等を襲い金品を強奪したそうだ。当然この暴徒化した人々は鎮圧される運命を辿る事になる。
 これに参加したのは、一家の大黒柱である男衆だ。鎮圧された際にはその男衆の多くは処刑され、後に残された女・子供は更なる苦しみを味わう事となる。
 稼ぎ頭を失った事もあったのだろうが、何より最愛なる夫を失った悲しみが大きかったのだろう。梅田湖が出来る以前にあった「だいころしの滝」という滝で、残された母親と子供が身を投げたそうだ。

「おとうの所へ行こう」

と、泣きながら嫌がる子供を引きずり、滝に身を投じた悲しみは、時を経た我々が聞いても辛く、また悲しくも複雑な気持ちにさせられる。

 そんな悲しみの舞台となった「だいころしの滝」も、その悲しみごと覆い隠すかのように水没してしまい見る事は出来ない。しかし、時折その悲しみが吹き出し、それが霊という姿となって無念を訴えているのではと思うのは考え過ぎだろうか。
 私にはよくは分からないのだが、この悲話が語り継がれていく事が、ご冥福に繋がるのではと思うのである。

 なお、上記の民話は「桐生の民話(http://www.kiryu.co.jp/kurobeinotengu/)」の「だいころしの滝(http://www.kiryu.co.jp/kurobeinotengu/daikoro/index.html)」を参考させて頂いた。
 当サイトでは掻い摘んだ説明に留まっているが、このページでは詳しく掲載されている。ぜひ参考にして頂きたい内容である。

■その存在の素晴らしさに上記サイトおよびそのページを思わずリンクを張ってしまいましたが、もし問題等があったのなら即刻対応させて頂きたく思っておりますので、その際にはご一報頂ければと思う所存で御座います。

巡霊者:心霊スポット取材記:群馬県【梅田湖:桐生川ダム】現地写真

心霊スポット:梅田湖:桐生川ダム

■平日であっても流石に釣り場として有名なのか、写真では分かり辛いのだが右奥にはボートに乗って釣りを楽しむ客の姿があった。

それにしても、この湖の下には様々な過去が眠っているのかと思うと、何とも複雑な気持ちにさせられる。

心霊スポット:梅田湖:桐生川ダム

■湖畔の道路を進めば、湖に沈んだ歴史の一部を垣間見る事もできる。
これは湖に沈んでしまった学校か何かの門柱であったと記憶しているのだが、何しろ約10年前の事なので記憶も微妙である。
とにかく、右の小さな石碑に「水没跡地」と刻まれているのは間違いない。

心霊スポット:梅田湖:桐生川ダム

■梅田湖のほぼ中央に掛かる梅田大橋。
余談だが、橋の袂にあるうどん屋さんに強烈に興味を引かれる。
こんな心霊サイトで紹介されたくないだろうから店名は書かないが、再び現地を訪れた際には是非コッソリ味を楽しみたい。

心霊スポット:梅田湖:桐生川ダム

■この写真は2006年に訪れた時のものである。
梅田大橋を写したのだが、見ての通り外灯が灯され美しささえ感じる。
しかし、実際の現地の雰囲気は、この美しさとは裏腹に何とも悲しげであったのは、強く印象に残っている。

心霊スポット:梅田湖:桐生川ダム

■その悲しさを作り出しているのは、やはりこの地に残された歴史悲話なのだろうか。そしてその悲話の末の犠牲者が、この写真の右に見られる様に、突如として恐ろしくも悲しげな姿を見せるのかもしれない…。

■世にある様々なものには歴史があり、その歴史には喜ばしいものから悲しきものが存在している。それらを民話は後世に継承していく素晴らしきものであり、それに耳を傾ける重要さを思いがけず再確認したのが、この梅田湖:桐生川ダムでのレポートであった。

 因みにだが、先に書いた民話だが、史実であったかどうかは実は分からないらしい。しかし、浅間山の噴火や、その少し前より始まった天明の大飢饉は事実であり、また暴動が起きたのも事実だ。そこまで辛い時世であれば、そんな悲話が生まれても致し方ないのではと考えるのは当然だろう。

 個人的な話となってしまうのだが、私が中学校の頃の夏休みの宿題として郷土史研究があった。今でもそうなのだが、学生の頃は今とは比べ物にならない程に勉強嫌いであった私は、当然ながらこの宿題を真面目に終える事はなかった。
 しかし、もし当時にそれを真剣にこなしていたら、実は素晴らしき歴史に巡り合えていたのではと、今さらながら後悔したりもするのだが…後悔したところで何が生まれる訳でもない。せめて今になり、こうした悲話と巡り合える事に感謝しながら、過去に真面目にすることのなかった郷土史研究を、もはや郷土ではないのだが、路地裏の目線で色々と調べ知っていこうと思うのである。

 因みにだが、その夏休みの郷土史研究のお題は「鎌倉街道」であった。きっと面白いものとの出会いが待っていたはずだし、路地裏目線で既に触れていたりするのが私的には「クスッ」と笑ってしまうのである。

 さて、最後となってしまったのだが、この梅田湖:桐生川ダムに実際に訪れた際の印象を。データにある通り、昼間と深夜の2度の訪問となったのだが、明るい時間帯はさておき、やはり夜の雰囲気は独特であった。主に梅田大橋で撮影していたのだが、外灯も多くあり視界は悪くないのではあるが、どことなく怖さ・不気味さを感じた。その末に撮影したのが、先の写真である。

 残念ながら声は聞こえてこなかったが、あの写真に写っている何かは、懸命に“何か”を訴える子供の霊であったではと思うと、恐怖よりもむしろ悲しさを覚えてならない…。

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