【越後胎内観音:童女石】
■所在地:新潟県胎内市下赤谷 ■取材日:2014年5月23日 ■公開日:2015年4月某日
■いま(2015年4月)よりほぼ1年前の2014年5月、仕事がひと段落したのを期に、予てより企てていた新潟心霊スポットを巡った。仕事が落ち着いたとはいえ、翌日は当然ながら仕事が入っている。よってこの新潟心霊スポット巡りも日帰りの“弾丸ツアー”といった格好となった。
まぁ近年では珍しくない日帰り取材だが、実際のところ翌日が結構辛くて…。とまあそんな小言はさておき、そんな具合で路地裏としての初の新潟入り取材を、5月の小雨の降るなかに行ったのである。
■その初新潟県において、1番最初に訪れたのが、ここに紹介する「越後胎内観音」であり、そこに安置されている「童女石」の拝見が、この場所における私の最大の目的である。童女石とは、読んで字の如くというか何というか、要するに童女の顔が浮かんだ石なのである。
この童女石は昔から非常に有名で、それこそ私がこの心霊関係に興味を抱き始めた幼稚園の頃には、既にその存在を知っていた程である。情報の入手先は、私の記憶が間違っていなければ、東京12チャンネル(現テレビ東京)の番組「ビックリ大集合」だ。知る人ぞ知る、その筋の伝説的なバラエティ番組である。その番組において、この石が見つかった経緯や、浮かんだ幼女は昭和42年の8月に起きた「羽越水害」の犠牲者の1人の幼女であるといった内容であった。
その番組を見終え、石に子供の霊が宿るという事に恐怖を感じながらも、水害により死んでしまったその無念さに、やたら悲しい気分になったのを覚えている。「恐ろしくも悲しい」はたまた「悲しくも恐ろしい」…。どちらともいえないし、どちらでも大差ないのさが、とにかく複雑な心境にさせられたという訳である。
それから時を経て新潟に出向こうと考えた時、いの一番に思ったのが「童女石を観に行かねば」であった。幼稚園から40年程の月日を経て、あの時に感じた複雑な心境にさせられたその実物を、是非とも拝見したいと強く思い東京から向かったのであった。
因みにだが、この胎内観音:童女石は、心霊スポットというカテゴリーからすれば、やや違うもの…いや、全然違うものであるのは明確に記載しておかねばならない。例えば肝試し的に夜な夜な訪れて騒ぐ場所ではないし、霊魂が何かしらネガティヴな現象をやたら引き起こす場所でもない。この場所は、その小さな石に浮き出た幼女の顔と、それにまつわる悲しき水難事故に、霊の存在を感じずにいられない場所であり、それが人々により大切に安置されているという、人間の温かさを感じる場所なのである。
■立派な山門が待ち構える「越後胎内観音」。
その奥には観音像と、左側には「帰林殿」がある。
■越後胎内観音とは、童女石の根源である「羽越大水害(昭和42年8月)」の犠牲者の供養と共に、日本国土の安全を祈念し建立された観音像であり、青銅としては日本一の像なのだそうだ。山門を通り過ぎ眺めた姿は、遠目に見ても確かに大きい。ただし、私の目的はそこではなく、あくまで童女石だ。それが安置されているのは、山門から向かって左側の「帰林殿」である。童女石の安置された場所にある案内から抜粋すれば、
「帰林殿付近より採取し帰宅後土を取り除きしに不思議にも童顔複面現れたり」
という事である。要するに石を持ち帰り、土の付いた石を綺麗にしてみれば、幼顔が複数現れたという事なのだが、まさか複数とは…。これは知り得なかった事であったので少々驚いた。
目的地の帰林殿に入ると、まず最初に目に入るのが大きな仏壇だ。その手前に小さな仏壇らしきものと、その両脇に幾つかの額縁がある。その小さな仏壇らしきものの中に、幼少の頃に知り、その後の人生で時折思いだし、また話題にもした、あの童女石が大切に安置されていた。因みに脇の額縁には、先に抜粋した案内と、童女石の過去の写真が飾られていた。
童女石を前にし、私の心境は幼き頃の心境にも似た感情が芽生えてきた。またその経緯や、水害という悲惨な事故と、その無念さを大人のフィルターで解釈し、更なる複雑な心境に、たまらず手を合わせてご冥福を祈った。ここにはそんな心境にさせる空気が広がっているのだと、根拠はないのだが、そう思ってしまった…。
帰林殿の中には、そこを御守りする年配の女性がいた。ひと気のない心霊スポットでは滅多にない人との会話を、そこで幾つか交わした。
「子供の頃に知った童女石を目の前にして、表現の仕方は違うかもしれないが感無量だ」
といった感じの私の正直な気持ちを、その女性にしたところ、暖かくも複雑な笑みで返してくれた所に、この場所の存在する意義の様なものを感じた。
そんな遣り取りの後、改めて童女石を眺めると、妙な事に気付いた。幼少の時に見た印象と、何となく違っている様な気がしたのだ。童女の笑みがクッキリと出ていて、はっきりと“笑っている”と分かるその表情に、妙な怖さを子供の頃に感じたのだが、その表情が実物を見ると、なんとなくボヤけている様なかすんでいる様な…とにかく、そんな「あれっ?」としてしまう違いを感じたのであった。
そう感じながら、脇の額縁に飾られた童女石の写真を見て、その違和感をより感じたのであった。過去のものに比べ、やはり輪郭や表情が明らかにボヤけているのだ。
巡霊者:心霊スポット取材記:新潟県【越後胎内観音:童女石】現地写真
■山門から向かって左手にある「帰林殿」。
目指すはそこで、その中に「童女石」が安置されている。
■青銅として日本一大きいとされる観音像を遠目に撮影。
確かに大きいと感じる。
■帰林殿の内部。
手前の小さな仏像らしきものの中に「童女石」が見えるのが分かるだろうか。
■その童女石をアップで撮影。
真ん中の幼女の笑顔が印象的なのだが、どうも違和感が…
■これが過去に撮影された写真を額縁にて展示していたもの。
少女の笑顔がはっきりとしているのが分かると思う。
時の流れと共に変化している部分にも、霊の存在を感じずにいられなくなる。
■過去と現在との違い…というか変化には単純に驚かされた。人間の過去の記憶がおぼろげになり、それが徐々に不明確なものになるのと同じ様に、この幼女の霊も悠久の時の流れに霞んでってしまうのだろうか?だとすれば、それもまた悲しい事であり、そう思うとまた更に複雑な心境にさせられるのであった。
いつかは完全に消えてしまうのだろうか。しかし、それが幼女が“しかるべき場所”へと旅立った証しであるならば、それは喜ばしい事である。そうである事を心より願い、そういった気持ちを集める場所として、この帰林殿が存在し続けているのだと、改めて思ったのである。そしてその気持ちがより多く集まるために、こうした文章も微力ながらでも手助けになれれば幸いなのである…。
新潟県に出向いた際、一番最初にこの越後胎内観音:童女石に訪れて良かったと。心から思った。現地には羽越水害には程遠いのだが、それを思わせる小雨が降っていた…。