【神流湖:その1】
■所在地:埼玉県児玉郡 群馬県藤岡市 ■取材日:2004年4月1日 ■公開日:2007年7月某日
■周囲を見渡せば、山桜の力強くも美しい色合いが山肌を染め、降り注ぐ日差しが身の回りの空気を心地よく温めている…そんな季節の頃に、この「神流湖」に訪れた。
現地入りの目的は、当然ながら“心霊スポット”としての取材。周囲の春色に満ちた清々しさとは正反対の、言うならばダークな部分を感じ、それを原稿とせねばならぬという、大袈裟にいえば過酷といえば過酷な作業を目的とした取材であった。
今回紹介する「神流湖」は、この原稿を書き始めるまでに2回訪れている。第1回目は学研より出版された「心霊ゾーンガイド」の原稿執筆のため。2回目は昨年に出版された「怨念地図:関東版」の現地写真の撮影および原稿執筆が、主な目的であった。もちろん現地に訪れたのならば、メインとしている路地裏のレポート作成データも収集することも目的の中には含まれてはいた。しかし、依頼を受けた仕事を最優先にせねばならぬ環境と、その主たる目的を終わらせたことで燃え尽きてしまったのか…。
結果として自分のサイトに公開するまで、最初の取材から3年も経過してしまったことに、様々な理由があるにせよ、我ながら呆れるほかない。
しかしながら、自信の不甲斐なさに嘆いていても何も始まらないので、取材した当日を思い出しながら、また締切に苦悩していたことを思い出しながら、今回のレポートを書こうと思う。そして、比較的有名なスポットであるが故、多くの人が訪れ、時として奇妙な体験談が生まれる土地柄のなかに、いち個人が訪れた体験記として記録されればと願うばかりである。
■取材のために現地入りした詳細は、初回が2004年の4月。書籍掲載のための写真撮影が目的もあってか、明るい時間帯を狙ったのだが、デジカメのデータをチェックしてみたところ、ちょうど正午あたりであった。現地には、当然ながら自動車で向かったのだが、車内に差し込む日差しが実に心地よく、ドライブ日和というに相応しい天候で、それは心霊スポット取材という意味合いでは完全に正反対の条件ともいえる。現地に向かう心境が複雑であったのを、やたら記憶している。
なお、初回の取材は日中によるものだが、それから2年後の取材は「深夜の写真が欲しい」との依頼により、初回とは正反対の時間帯の取材となった。このときのレポートは追々紹介する予定だが、この現地の“昼の顔”と“夜の顔”を取材できたことは、個人的に実りあることであった。人によっては、その部分を「勘違い」と言われてしまうのかもしれないが、双方の現地の雰囲気の違いを感じることが出来、また様々な噂が夜に生まれ易いのも、言葉には出来ずとも何となく理解できたような気がした。
「この闇の“閉鎖感”と、妙に付きまとうかのような“気配”は、視野の確保された昼間には感じることは出来ないだろうな…」
そんな率直な意見が、深夜の取材時に思わず口から「ポロッ」と出てしまうような、そんな雰囲気であった。
かといって昼間の取材時は平穏であったかといえば、すべてそうだとは言えない。まあ確かに穏やかな心境で取材を進めていたのは事実だが、時に「あれっ?」と思う部分も確かに存在した。周囲が明るいだけに、それだけで済んだのではあるが、これが夜中であれば感じ方も増幅されるのかと思うと、春の日差しも妙に冷たく感じる気がした。
そういった部分を、以下より順を追い紹介していけたらと思う。
■神流湖に注ぐ川、「神流川」の姿。春も始まったばかのせいか、山肌はまだ痩せて見える。しかしそれが、桜の花をより際立たせているように思える。
これをUPする頃(夏)には、同じ位置の風景も全然違った、力強い雰囲気が現地には広がっているのであろう。
兎にも角にも、この川の流れる先に、神流湖の悠然たる姿が広がっている。
■この神流湖には、霊的な噂が聞かれる場所が複数存在している。「下久保ダム」や、その袂にある「慰霊碑」、橋の存在や廃屋やらトンネルやらと…。頭の中には一応の配置を入れておいたのだが、それでも個人的に初めて訪れたスポットである。最初から意気込んで各ポイントを撮影するよりも、とりあえず群馬県側の湖沿いに伸びる国道462号線を走りながら、湖全体を見て周り現地の雰囲気を味わってみることにした。
湖沿いの国道は、時折急カーブが待ち受ける、なかなか荒々しい作りだ。初めて通る人にとっては、スピードを出すには少々勇気が必要な道かもしれない。私も例外ではなく、「こんな所で事故を起こすよりは」と言い聞かせ、安全運転に努めつつ、隙を見て時折湖の方へ視線を送りつつの運転であった。
程なくして差し掛かった「下久保トンネル」を確認し、その先を左に曲がれば下久保ダムに着くことをと認識しつつ、さらに国道を進む。いくつかのトンネルを経た先に「門ヶ谷トンネル」という名のトンネルが目についた。このトンネルにも、何やら噂が聞かれるし、そこを左に曲がれば赤い橋「琴平橋」が見えてくる。この神流湖でも各段に噂が多く聞かれる場所といって間違いないし、ここの取材において絶対に外せないスポットでもある。
しかし、ここも取りあえずはパスし、そのまま国道を進んでみた。何故かと言えば、大した意味があるわけでもなく「急ぐ旅でもないし河上の写真があっても“良し”だろう」なんて安易に考えただけである。まあ唐突に慰霊碑の写真を出すのも何なので、とりあえず上の写真を撮影し、この神流湖の取材を開始した次第である。
その写真撮影を終え、来た道を戻りつつ次に訪れたのが下久保ダムになる。この神流湖を形成するためには“なくてはならない”ものであり、このダム建設がなければ昨今に聞かれる噂話も生まれなかった可能性さえある重要な建造物でもある。
「作業服姿の男の霊を目撃した」
といったような例は、まさにダム建設に絡んだ(と思われる)情報である。この建設では8人の殉職者が存在しており、その尊い命を鎮めるべく慰霊碑が、この下久保ダムの近くに建てられている。その慰霊碑は、ダムの上に設けられた道路を進み、群馬県を超えた埼玉側の小さな公園に、それこそ“ポツン”と存在していた。雄大な神流湖と、それを形成する巨大なダムとは裏腹に、実に寂しい雰囲気と感じてしまうのは、果たして私だけだろうか?いやいや、恐らくは手厚く供養されているだろうし、それがこのような慰霊碑という“かたち”になっているのであろう。慰霊碑とその周囲は、寂しい雰囲気でありながらも、比較的きれいな状態を保っていることで、誰かしらが尊い命を敬いながら手入れをしている部分からもうかがえる。
では、なぜそれにも関わらず上記した目撃例が聞かれるのだろうか?「それは気のせいだよ」とか「実はデマなんだ」といわれてしまえば元も子もないのだが、その霊が実際に“出る”と仮定した上で考えてみたとする。その霊が例えば私だとして、
「わざわざ姿を見せる理由は何だろうか?」
と考えてみる。自分が霊となってまで、現世の人々にその姿を見せつける理由は…それは私なら恐らく「事故死してしまったことの辛さ、悲しさ」を理解してほしいからではなかろうか。
例えば現実社会で頻繁に聞かれるものに“愚痴”というのがある。これは現実の日々での不平・不満などを他人に聞いてもらい理解してもらい、そうして自分自身を落ち着かせる手法だと思う。辛さを溜め込まずに、誰かに話すことで安心してしまうということは、このしがらみ多い世の中に生きる我々ならば、誰もが経験したことはあると思う。時に愚痴を一切言わない素晴らしく人間が出来た人も存在するかもしれない。しかし、私の周囲では様々な意味合いで過酷な仕事のせいか、この“愚痴”というのは誰もが口にし、かくいう私も恥ずかしながら大小あれど、毎日“これ”ばかりいっているような気がする。
その愚痴には、語る側と“聞き手”が存在せねば成立しない。その聞き手を求めて、時に我々の前に姿を見せるのではないだろうか。もしくは、
「湖ばかりに目を向けて、我々には背中ばかり見せつけている」
といった想いの、やはり“愚痴”なのか。そんな風に考えてみると、怖さの中にも“哀愁”みたな感情が、少なくとも私は芽生えてしまう。そりゃ確かに夜中に「どどーん」と姿を見せつけられれば確かに怖い。間違いなく怖い。でも、そんな気持ちが少しでもあるならば、せめて明るい時くらいは、この慰霊碑の前で殉職者のご冥福を祈ろう…。
そんなことを、この慰霊碑を眺めながら考えていたのを思い出す。
巡霊者:心霊スポット取材記:埼玉県【神流湖】現地写真
■「神流湖」を一望できるポイントを探し出し、そこで撮影したのがこの写真。山肌に見られる桜色が季節を感じさせ美しい。
中央より右へ延びる人工的な建造物は、ご承知の通り「下久保ダム」である。この下久保ダムの建設により生まれたのが神流湖だ。
■下久保ダムの上に敷かれた道。御覧の通り、道は直角に折れ曲がっている。直角に折れた構造をした、個性的な風貌ともいえる。
このダムの上の道を進めば、小さな公園らしきものが目につく。そこにひっそりと慰霊碑が建てられている。
■これがその慰霊碑だ。このような巨大な建造物には、殉職者のための慰霊碑が良く見られる。危険な作業ゆえの宿命なのか…。
多くを語れば様々な支障も生まれそうだが、どちらにしても、志半ばで亡くなられた方々には、ご冥福を祈るほかない。
■このダム建設での殉職者は8名だと言われている。そのことが作用してか、現地では「作業服姿の男の霊を目撃した」といった情報が聞かれる。
確かに深夜にそのような霊を目撃すれば恐怖心に支配されるだろう。しかし、その経緯を踏まえたうえで霊を見たとき、それでも果たして「怖い」だけなのだろうか。
少しだけ掘り下げただけで複雑な心境に誘う不思議な世界である…というのは大袈裟かな?
■神流川の写真を撮影し、また神流湖方面へ。その道中には、横の写真のようなトンネルが幾つか存在している。
この写真のトンネルは「門ヶ谷トンネル」。ここから右に伸びた道を進めば、程なくして赤い橋が見えてくる。この広大なスポットでも、噂をがより多く聞かれる有名な「琴平橋」である。
■下久保ダムおよび慰霊碑を後にした私が、次に向かったのは上の写真の通り「門ヶ谷トンネル」であり、そこを曲がった先にある「琴平橋」である。春の心地よい気候と、なかなか美しい色合いの湖面に浮かぶ橋の姿は、心霊スポットのレポートとしては少々不釣合いな表現だが「奇麗」とさえ感じた。
この「琴平橋」については、次の「その2」で書くとして、ここでは先ほど書いたものの続きみたいなものを、もう少しだけ書こうと思う。
先には8人の殉職者が存在し、その霊が自身の死について「愚痴をこぼしたいのでは」と勝手に想像(というほど大したものでもないが)をしてみた。これは故人が仕事中に“事故死した”ということを大前提にして想像してみたのだが、もしこの前提が違うものであったのなら、この想像も大きく違うものになってくる。
これはあくまで私の“空想話”となってしまう事を予めご理解願いたく思う。
例えば、この殉職者が「事故死に見せかけた殺人事件」といった、ドラマによく有り勝ちなパターンだったとしよう。そうなってくると、現在の我々の前に現れる目的が、愚痴なんていう悠長なものでは決してないはずだ。恐らくは「真実を知ってもらいたい」という切実な訴えに、必ずなるであろうし、何より真実が伝わらない“もどかしさ”は、何にも代え難い辛いものでもある。
例えば本当に幽霊を見たとして、それを他人に伝えたときに「それは絶対に気のせいだよ」といった具合であしらわれ、全く信じてもらえなかったときの辛さは、思いのほか辛いものである。これを読んでいる方なら、もしかしたらこういった経験をしているかもしれないし、この具体例は別として「事実をいっているだけなのに誰も信じてくれない」といった経験は、人生の中で少しは起こり得るのではないかとも思う。
それが“自身の死”であったとしたら、この辛さは上記したものの比ではないと私は思う。そもそも「愚痴を語りたくて出る」という仮説より、こういった理由の方が説得力があるのではないだろうか…。
空想は尽きない。8人の殉職者となっているが、実は知られざる“9人目の殉職者”の存在していたのならどうだろうか。だとすれば、当然「私の死を知ってほしい」といった心境になるであろうし、誰にも供養もされず、例えば未だにダムの冷たいコンクリートの中に閉じ込めていたとしたら、この辛さは想像を絶する。
「私を早く探し出してくれ…」
悲痛な心の叫びも誰にも届かず、人々が目の前を過ぎ行く状況は、実に哀れだし何より悲しい。
くれぐれも書いておくが、これは現地に「作業服姿の男の霊」が“本当に”出没すると仮定した上で、私が勝手に想像したものである。決して事実として書いた訳ではないことを、くれぐれも理解していただきたい。
でも、真実を深く深く探っていけば…実は“そんなところ”が見え隠れしてくるのかもしれない…。いやいや、現代社会の日本において、こんな真実は無いであろう。無いはずだ。そうあってほしい…。そう願ってやまない…。
どちらにしても、この空想話(というより考え事)は、いったん始まってしまうと切りがなくなる。大して面白くもない考え事は、この辺で終わらせておいて、次なるものに進もうと思う。
■その2へつづく