【腹切りやぐら:1】
■所在地:神奈川県鎌倉市 ■取材日:2002年10月22日 2004年5月7日 2013年2月5日 ■公開日:2014年月某日
■この「腹切りやぐら」に最初に訪れたのは、路地裏を初めて3年目を迎えた2002年の頃であった。今になってみれば、まだまだ駆出しの頃である。
本来であれば、早々に公開したのだろうが、なぜ今まで寝かしてしまったのかといえば、当時の取材の際に近隣の住人様の苦悩に対する配慮であった。
「夜間の迷惑行為には本当に悩まされているんですよね…」
という切実な言葉に、さすがに即座に公開することは出来なかったのである。とはいいつつも、さすがにそれから12年も経過してしまっては、それは“寝かせ過ぎ”に他ならないのだが、ともかくこの腹切りやぐらには、その後も数回訪れたので、それも併せて紹介していくことにしよう。
■先にも書いた通り、ここに最初に訪れたのは2002年の秋であった。仕事の関係で鎌倉に訪れる機会があり、その合間に現地に出向いたのであった。
現地の噂は、路地裏を始める以前より多く聞いていた。何より「鎌倉幕府滅亡の地」という認識は強く、北条氏らの無念が今でも残っているのだろうと信じて疑わない(というのも大袈裟なのだが)、ぜひ訪れたい現場であった。
そうした想いの末、いざ現地を目前にした時の、何ともいえないギャップを感じてしまったのが、ここでの第一印象であった。前々から抱いていたイメージが余りにも強かったが故、実際の現地の静けさに、ある意味拍子抜けしてしまったという訳である。
よくよく考えてみれば、それもまた当然な訳で、昼間のこんな時間から凶悪な雰囲気を万人に誇示する様な場所は、そうそう見られる訳ではない。ましてやその無念の根源は、今から600年以上前の出来事である。
「本当に何もない静かな場所なんですよ」
と近隣の方々が感じる雰囲気こそ、現在の腹切りやぐらなのである。
■腹切りやぐらへ向かう道中にあった案内板。
観光地だけあって、この様にキチンと案内板が設けられていて有難い。
その下には深夜の迷惑行為に対する警告文が張られていた。
心霊スポットに夜間に訪れる際には、最優先にして頂きたい注意事項だ。
■そんな当地も、やはり深夜では雰囲気は違うのだろうか?
そんな疑問は、当然ながら抱いてしまうのが、こんなサイトを運営している様な人間が抱いてしまうのは致し方ないところ。しかしながら、近隣の方の言葉を聞いてしまった故、未だにそれを実行した事はないでいる。
いや、それは単なる言い訳でしかなく、実はいつか夜間に訪れてみようとは、当時によく考えていた事だ。しかしながら、その企ても遠回しとなり、いつの間にか「取材は日中に」という自分なりのルールも確立されてしまい現在に至った訳である。
ただ、そんな自分のルールなんて頑なに守る必要もない。最近になり、かつて抱いた深夜の雰囲気を肌で感じてみたいという願望を、叶えてみたくなってきた様な気がしてきた。といってこのレポートを完成させるまでに実行する時間はないのだが、何時しか願いを叶え、なおかつ面白そうな“何か”を感じることが出来たなら、何らかのかたちで表したいと思っている。
巡霊者:心霊スポット取材記:神奈川県【腹切りやぐら:1】現地写真
■付近には「東勝寺跡」もある。
1333年の新田義貞らによる鎌倉攻めの際に火をかけられて焼失してしまったそうだ。その時には、寺に立てこもった人も焼かれ焼死したのだから、その無念は今でもこの地に残っていても不思議ではない。
■そしてここが目的地の「腹切りやぐら」だ。横の東勝寺跡からホンの少し歩いた位置にある。
この写真は2002年のものなのだが、他の年代も基本的な雰囲気に大差はない。
■当地は時を経た今でも、こうして人々らによて手厚く供養されている様である。
「本当に何もない静かな場所なんですよ」
とは付近で話し掛けてきた近隣の方の言葉だ。
その他に、迷惑行為に対する苦悩を切に語っていたのが、強く印象に残っている。深夜に訪れる際には是非気を付けて頂きたい。
■時を経て2004年の写真となる。
時間が経過しても、やはり手厚く供養されているのが分かる。
現地の雰囲気は何も変わっていない感じだ。
■大まかな雰囲気こそ変わらないのだが、何となく柔らかい雰囲気に感じるのは、撮影したのが春だからだろうか。はたまたカメラが変わったからだろうか。
それとも現地に今も残る魂の心境がそうさせたのだろうか…。
■腹切りやぐら自体は小規模なので、現地の紹介すべき写真はそう多くはない。
そう多くはないのではあるのだが、今回はもう少しだけ写真等を紹介してみようと思う。
■その2へつづく…