【腹切りやぐら:2】
■所在地:神奈川県鎌倉市 ■取材日:2002年10月22日 2004年5月7日 2013年2月5日 ■公開日:2014年月某日
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■2002年の取材の際、腹切りやぐらより上に向かう階段があるのには気づいていた。しかし、その他にも巡っておきたい現場もあったことや、また仕事に戻らねばならなかった事もあり、その階段の先へは進まずにいたのが気になっていた。そんな大した事のない後悔が、2年後に叶えられる機会に恵まれたのであった。
■2004年の現地入りの詳細は、付近の有名な心霊スポット「小坪トンネル」への取材の際の“ついで”であった。ついでといえば聞こえが悪いのだが、前述の通り未確認の個所があったので「ついでに見ておこう」となった訳である。
この際の現地の雰囲気は、前回とは季節が違ったせいか、暖かさを感じた様に思う。それは春がなせる業に他ならないのは間違いのだが、もう少し違った風に感じておきたいと願うのも、こんなサイトを運営する者の性であろうか。現地に拒まれていないのだと自己満足的に解釈しながら、腹切りやぐらを前にしたのであった。
■この様な説明文が刻まれた大きな石碑も当地にはある。
その横に、更に上部へと続く階段が確認出来る。当然そちらへも向かってみた。
■今回の目的は、先の通りその上に続く階段を目指すことだ。現地入り早々に、まずはその階段を進んでみることにした。
なかなか急な階段を数十段上がっただろうか。その階段も終わり、平らな道が先に延びていた。位置関係的に、その先に進めば腹切りやぐらの真上になるのは何となく分かった。さすがにあまり良い気はしてこない。
「何だか微妙に怖いんだけど」
なんて独り言を言ったか言わなかったかはさておき、そんな気になったのは確かだ。とはいいつつも、如何せん昼間の時間帯だ。怖いと感じだところで、その度合いは大したことはない。当然ながら、その先へと躊躇なく進んで行った。
その先で見たのは、とても小さな祠であった。下の腹切りやぐらの穴とは比べ物にならない程の小さな穴が掘られ、そこに祠が収まっていたのであった。厳密にいえば違うのかもしれないが、感覚的には腹切りやぐらの真上に位置していたと感じた。
「何なんだよぉ〜」
と独り言をしゃべったかも覚えてはいない。ただ、唐突に表れたその姿と、下の腹切りやぐらとのギャップに、何とも言い様のない切なさを感じたのは間違いない。と同時に、この祠の建てられた経緯に興味を抱いた。といってそれをその先に調べた訳ではない。なので、その疑問の答えは未だ分からないでいる。
分からないのではあるが、その存在に何位かしらの意味があるのは間違いない事だ。この取材の9年後に訪れた時、その祠が新しくされていたのを見て、下と同様に温かい心で手入れされているのを知り、下と同じ経緯で建てられたのだと勝手に納得したのであった。
本当は違うのかもしれない。しかし、違ったとしても、それをしる必要も私にはないのだと妙に思うのであった…。
巡霊者:心霊スポット取材記:神奈川県【腹切りやぐら:2】現地写真
■上に上がるとこの様な感じであった。
道なりに進めば、ちょうど腹切りやぐらの真上になる。
■そこに、この様な小さな小さな祠が建てられていた。
腹切りやぐらの真上というのが、何とも思いを馳せてしまう。
■その祠は2013年に訪れた際には、別の物に建て替えられていた。
鳥居の位置も、よく見れば変更されている。
変更点はあるものの、どことなく寂しげなのは変わらない気がする。
■2013年に訪れた時の腹切りやぐらの写真だ。
季節は冬の真っ只中の2月という事もあり、どことなく冷たい雰囲気に感じてしまう。
■因みに2013年に訪れたのは、現地の動画を撮影するのが主であった。なので、上の写真はスマホでfacebook様に撮影した、それこそ“お気楽写真”である。
心霊とは全く関係のない余談となっていしまうのだが、初めて現地入りした頃の携帯電話の画素数では、HPでの公開など考えられなかった。それから10年以上の月日に進歩した、携帯電話の機能には、ただただ驚くばかりである…。
にしても、カメラからフルブラウザからナビから、当然電話もだが、それらが1つに収まった魔法の様なアイテムは、サイト運営当初より望んでいた物であった。楽しい時代になってきたと思わずにいられないこの頃なのである…。