【天城隧道:1】
■所在地:静岡県伊豆市〜賀茂郡河津町 ■取材日:2004年4月13日 ■公開日:2009年4月某日
■2004年に依頼を受け関東近郊の心霊スポットを取材してきたのだが、ここに紹介する「天城隧道」が最終の取材現場となった。厳密にいえば、天城隧道の取材後に、後に紹介するであろう「八丁池」も同日に取材したのだが、それはあくまでもプライベートでの取材である。「ついでに行ってみよう」といった具合で訪れたものであり、主たる目的からは離れたものでしかない。
とにかく、関東近郊を短期間で巡ってきた取材の旅も、いよいよ大詰めを迎えることとなったのである。しかし、その後に別件の依頼が入り、またしても各地を歩くことになるのだが…。
■伊豆といってイメージするものといえば、やはり何より「伊勢新九郎」ではないだろうか。歴史を知る方ならば「北条早雲のことね」と言った具合で“ピン”とくるであろう。戦国時代に関東を支配する基盤を作り上げた早雲だが、その登場により「戦国時代の始まり」とする見方もある程に、その時代の象徴的な人物だ。要するに戦国時代における“下克上”の代表的なエピソードにより、後に伊豆一国、やがては関東を支配するのである。因みにだが、鎌倉時代に登場する北条との関連は殆どないことは、ここにあえて記載しておこう。
また氏の本拠は、関東支配を目指す上で「興国地城」から「韮山城」、そして「小田原城」となるのだが…もっとも今回紹介する「天城隧道」においては、上記したような知識はあまり必要のないことである。よって、この辺の情報は、ここまでとしておこう。個人的な意見としては、せっかく韮山城跡付近を通過したのだから、歴史的な趣味として立ち寄ってみるべきであったと若干ながら後悔している。
その韮山城跡から更に国道を南下すれば、行く行くは天城隧道へと辿り着く。道中には駅の道「天城越え」や「浄蓮の滝」などもあり、旅の気分を満喫するとともに、有名な“あの歌”を思い起こさずにはいられない。
■国道414号線「天城大橋」より旧道へと進む分岐点。旧道を進んだ先に、目的地である「天城隧道」が待ち構えている。
■そうこうしているうち、国道は旧道との分岐点に差し掛かる。目の前には「天城大橋」があるのだが、それは渡らずに旧道を進めば、目的地である「天城隧道」だ。旧道とはいっても車で向かうことも可能な現役の道路だ。よって、そのまま車にて進むことも出来たのだが、ここはあえて徒歩で向かうことにした。それは大した理由ではないのだが、かつての難所と伝わる天城峠を、車にて“スイスイ”と進んでしまうのも妙…というか、自身の足で歩くことによって、その難所加減を多少なりとも体感できるのではと思ったからだ。また都合が良いことに、分岐点には駐車場も完備されている。これも「歩いていこう」と決心させる、有難くも重要な要素だ。
無料の駐車場を有難く使わせて頂き、旧道へと歩を向けた。道中の状況は、以下に紹介する写真でも分かるとおりの未舗装の道路だ。まさに“砂利道”である。季節柄か空気は乾燥し、また道路もそれに比例している。要するに“バサバサ”な状況で、簡単に砂ぼこりが舞ってしまい、靴などはそれこそ簡単に砂まみれとなってしまう程であった。歩いてでさえホコリが舞うのだから、車が走ろうものなら舞い加減は半端ではない。実際に道中でタクシーが横切っていったのだが、その際には堪らず咳込んでしまう程にホコリが舞っていた。不快感を覚えるとともに、タクシー内で涼しげに笑っていた老夫婦の表情に、妙に複雑な感情を覚えたような気がする。
何だかんだと書いてはいるが、実際のところ
「俺も車で来れば良かったな」
といった簡単な心境に陥ったということだ。しかし、どう後悔しようとも“時すでに遅し”でしかなく、引き返すこともなく当初の目的通り歩いて進むのであった。
若干の後悔とともに進んだ道中は、案の定というか決して楽な道ではなかった。しかし、かといって難所と呼べるような険しさではなく、ただ長く続く坂道に疲れを感じる程度であった。もっとも、この天城峠が難所と伝えられていたのは、遥か古のことであるのはいうまでもない。そもそも車での通行が可能な峠に、かつての難所加減を求めること自体が間違っているのである。もっともそれは、前々から分かっていたことではあるのだが。
そうこうしているうち、途中の山葵沢を眺めながら、また“あの歌”を思い出しつつ、目的地である天城隧道へと辿り着いたのであった。
巡霊者:心霊スポット取材記:静岡県【天城隧道:1】現地写真
■旧道の道中は、おおむね左の写真の通りだ。道路は舗装されておらず、乾燥した季節ならば車が勢いよく通れば砂ぼこりが巻きあがりそうだ。実際、タクシーが走りすぎた際には、結構な砂ぼこりの量に不快感を覚えた。
■道中には右の様な“山葵沢”も見られる。車で向かえば見過ごしそうなものも、歩いて進めば様々なものも見えてくるものである。
しかし、それと引き換えに体力の消耗は避けられない部分だ。
■また道中には様々な橋も見られた。左の写真は「しらはし」と記されている。その他にも「踊り子橋」という名の橋もあった。有名な「寒天橋」は天城隧道より南側に位置しており、今回の取材では訪れてはいない。
■いよいよトンネルが見えてきた。手前には東屋らしき建物も見える。車が止めてあることからも、多少なりとも駐車スペースはありそうなのだが、そう多くを停められる程の規模ではなかったと記憶している。
■天城隧道北側の坑口の図だ。当地の紹介の際には必ず採用される有名な姿といえるだろう。因みにこの坑口は「伊豆市湯ケ島」である。トンネル中央より向こう側が「賀茂郡河津町梨本」となっている。いわゆる境だ。
■いよいよ目的地に到着し、その内部へと潜入する。しかし、その内部に何やら禍々しいものを感じたとか、そういったものは無かったことだけは先に書いておこう。
因みに、ここまでの道中に、後に向かう事になる「八丁池」に向かう分岐点を見かけた。そこに向かう道中での出来事や、また八丁池の様子も、この天城隧道の後編を公開した後にUPするはずである。
まずは「その2」をお待ち頂きたい。
■その2へつづく